OUR MIND
私たちの思い
創業から七十年余。
今日も変わらぬ思いで 走り続けます。
弊社、岩手県南運輸株式会社は、1950(昭和25)年に「気仙貨物自動車株式会社」として、初代社長の志田達夫が設立いたしました。初代は3歳の時に父親を亡くし、母親が女手ひとつで育ててくれましたが、“赤崎一の貧乏な家庭”と揶揄されるほど困苦に耐えていたそうです。そこで初代は、母親を少しでも楽にさせたいという思いから、21歳のときに会社設立を目指します。経済的な支援を講じてくれる人がおらず行き詰まりそうなところへ、唯一、橋爪商事の宮澤才典様が手を差し伸べてくれ、初代はようやくダンプトラック一台を手に入れることができました。大船渡を流れる盛川の砂を積んで工事現場まで往復する日々、それが弊社の原点です。
1964(昭和39)年には、商号を「岩手県南運輸株式会社」と変更しました。その2年後には、小野田セメント(現・太平洋セメント株式会社)様のセメント運搬を開始。産業廃棄物収集運搬、一般廃棄物収集運搬の事業にも参入いたしました。
さらに1984(昭和59)年に全国引越専門協同組合に加盟し、引越業を開始したほか、2002(平成14)年には冷凍、家畜部門の車両基地として住田営業所を開設。そして2007(平成19)年には、全日本トラック協会から“安定性優良事業所”として認定を受けました。これは、交通安全対策への取り組みなど一定基準をクリアした事業所に与えられるものであり、弊社が安全性の高い事業所であると認められた証です。
長きにわたり初代から受け継いできた努力が少しずつ開花してきた矢先、再び大きな災難に襲われます。
2011(平成23)年、東日本大震災です。
未曾有の大震災により、赤崎にある本社に待機していた車両約50台が水没しました。それでも従業員全員の無事を確認できたときは心の底から感謝の思いがあふれたのを覚えています。車両のほとんどが再起不可能となった中、大船渡市からがれき撤去の要請が入り、私たちは急いで全国から中古のダンプを買い集めました。市場の異常な値上がりで、入手は困難を極めましたが、「なんとかしなければ!」という強いエネルギーに動かされ、そこからは奮闘の毎日でした。
おかげさまで現在は、車両台数も従業員数も、震災前の倍近くに増えました。初代の努力にならい、震災時のさまざまな困難を乗り越えてきた全従業員の間には、家族のような信頼関係が結ばれています。従業員それぞれが抱えるさまざまな生活事情、子育て、親の介護、自身の健康問題……。長く共に歩んできたからこそ、お互い支えあいながら、ひとりひとりの暮らしに寄り添っていける。そんな会社であることが私たちの誇りです。
人々の暮らしに寄り添いながら走り続けること、私たちの思いとして歩んでまいります。